『加賀とび』の伝統を支え、守る

―「加賀百万石」という言葉は、美術工芸や茶道、学問など文化を強く意識させる。この言葉の武骨さ、男っぽいイメージを重ねているのが「加賀とび」である。
「加賀とび」とは江戸・本郷の加賀藩邸で組織された「大名火消し」を指す。
1717年(享保二年)相次ぐ大火を憂えた幕府は各藩の江戸屋敷に自衛消防の強化を求めた。当時、すでに強力な防火隊を抱えていた加賀藩江戸屋敷は、幕府の命をきっかけに精鋭の鳶を選んで新たな組織を新設する。
これが「加賀とび」の始まりである。「加賀とび」が江戸火消しの代名詞になったのは、命懸けで火を消す行動だけではなかった。大きな雲と稲妻を染め抜いた 長半纏、その上に着た革羽織等の華麗な火事装束。行列では腹を突き出し、左手と左足、右手と右足をそろえて進む「伊達歩き」で威勢を誇った。「火事とけん かは江戸の花」その中心にいた「加賀とび」は後に浮世絵や歌舞伎、落語小説の題材になったほどである。
幕府が倒れ、1869年(明治二年)江戸の「加賀とび」三十八人が金沢へ移った。これに金沢の火消し二百人余を加えて結成した消防組織が今日の義勇消防 (消防団)へとつながる。江戸の加賀とびは二年後帰京したが、義勇消防は加賀藩の江戸と金沢に分かれた火消しの伝統が溶け合う形で出発した。今日では金沢 市内 、四十九の校下ごとに組織された分団(団員千六十四人)にその伝統は受け継がれている。 ―
一部北國新聞より抜粋―

長野ポンプ株式会社の消防車づくりの思想と理念

長野ポンプ株式会社は1934年(昭和9年)、初代社長 長野三郎によって石川県金沢市に設立された。当時は日本国内に100を越えるポンプメーカーが存在していた。
金沢市内にも能瀬、鈴木、高田などのポンプメーカーが存在しており、長野三郎は能瀬でポンプづくりを学んだ。ポンプづくりは師弟関係のなかで厳しく継承される。その中に長野ポンプのものづくりの原点が育まれてきた。
長野ポンプの消防車両づくりの理念は「現場で命を懸ける消防職員、分団員を車づくりの角度からサポートする。」そして「加賀とびの伝統を支え、守る。」という気概によって支えられている。
この理念は73年を経過しても変わることなく受け継がれている。手を伸ばすと自然な位置にある手摺、大きく曲面を描き足が引っ掛らないように配慮されたサイドカバー、フェンダーとステップ・ボディとステップが交差するところに設けられた錆を防止する排水用のレインランネル、長距離送水、高所送水時に威力を発揮する、A2級ながら規格放水量で2600L/min高圧放水量で2100L/minを誇るNF75型高圧二段バランスタービンポンプ、視界を妨げず操作性を向上させ、さらに接触による頭部の損傷を防止する標準装備のオーバーヘッドコンソール、そして専用設計技術によりその地域の特性に合わせてつくられる頑固なまでの「ものづくりの思想」。
このひとつひとつは特に特徴のあることではないが、長野ポンプが永年、現場の声を聞きながら改良してきた、たゆまない努力の成果がここにある。よく「企業風土とは何か。」と言われることがあるが、『風土の「土」の 部分はこれからも変わることのない、また変わってはいけない企業の理念であり、ものづくりの哲学である。
「風」の部分はその時代背景に適応して変わっていくもので経営の手法や技術などである。』といえる。そして、これから何年たっても変わることのない長野ポンプのものづくりの哲学は「人の命を救うために自分の命を懸ける人たちのために思いやりをもって消防車輌をつくり込み、それを通じて地域社会に貢献する。」ことにある。

長野ポンプの消防車づくり

長野ポンプではこのものづくりの哲学のもと、一台の車輌はひとつのチームが最後まで責任を持ち、つくり上げる。この方法はドイツのバイエルン地方のある有名な車メーカーと同じ手法である。流れ作業の中では前後の流れがつかみ難く、その中から生まれるセクショナリズムは時として品質に悪影響を与えることがある。また流れ作業は同じ仕様のものをつくって初めて効率があがるため、そのラインでものづくりをするとき、各地域の特性に応じた消防車輌をつくる、といったことがやりづらくなってしまうという問題を内在している。
長野ポンプでは一台一台を専用設計でつくる。シャシの選定から放水口の位置までお客様の希望に答える。前述したように、消防車輌は地域性により、ひとつの考え方をもってつくられるべきであると思う。それを一連の流れ作業の中でつかむことは難しい。長野ポンプでは営業から製造チームに引き渡す時、この車輌はどのような使い方をするのか、そしてどのようなことに気をつけるのかが、綿密に打合せされる。そして一台の車両をひとつのチームが最後まで責任を持って仕上げる。この車輌がどんな使われ方をするのか、これを使う消防職員、分団員は何を求めているのか。これは一台の車輌をひとつのチームが最後まで仕上げる中でつくり込むことができる。車との対話が良い消防車をつくる。

長野ポンプの営業の考え方

長野ポンプでは年間60台以上の車輌はつくらない。つくれないのではなく、つくらないのである。全ての車両に専用設計を取り入れることは製造工数のアップとコスト高を招く。
また消防車輌は時期により集中するという入札制度の構造的にネガティブな部分も含んでいる。これに対応し、なるべくコストを安く、良いものをつくる為には現在の長野ポンプのマンパワーから考えると年間60台がひとつの答えではないかと考えている。
また、営業圏はサービス拠点から車で五時間圏内と定めている。消防車輌は緊急車であるため、緊急性の高いトラブルが発生した場合、すぐ対応できる距離として定めている。現在サービス拠点は金沢市、福井県、大阪市、神奈川県、高知県、大分県の6ヶ所である。先ずは営業所を設置する前にサービス拠点を設置する。これが私たちのやり方であり、「自分で面倒の見られる台数だけつくる。」先代からの継承した思想のひとつである。