古くて新しい金沢の伝統産業

昭和九年、初代長野三郎によって長野ポンプは創立されました。
これまで三千台以上の消防車輌をお客様のもとに送り出してきました。
そこにはいつも『現場で命を懸ける消防職員、分団員を消防車輌づくりの角度からサポートする』そして『消防車輌づくりの角度から加賀鳶の伝統を支え守る』というものづくりの思想と加賀鳶の文化伝承の一役を担うと言う気概が連綿と受け継がれていました。
そして消防用品の製造と販売を通じて社会に貢献することをミッションとして七十二年の歳月を重ねて参りました。
特に「加賀鳶」の文化を伝承する消防分団組織とのつながりは強く『加賀鳶』の文化によって当社は育まれてきたといってもよいでしょう。
『加賀鳶』とは江戸・本郷の加賀藩邸で組織された「大名火消し」を指します。
一七一七年(享保二年)相次ぐ大火を憂えた幕府は各藩の江戸屋敷に自衛消防の強化を求めます。
当時、すでに強力な防火隊を抱えていた加賀藩江戸屋敷は、幕府の命をきっかけに精鋭の鳶を選んで新たな組織を新設します。
これが「加賀鳶」の始まりです。
「加賀鳶」が江戸火消しの代名詞になったのは、命懸けで火を消す行動だけではなく、大きな雲と稲妻を染め抜いた長半纏、その上に着た革羽織等の華麗な火事装束や行列では腹を突き出し、左手と左足、右手と右足をそろえて進む「伊達歩き」で威勢を誇りました。
「火事とけんかは江戸の花」その中心にいた「加賀鳶」は後に浮世絵や歌舞伎、落語小説の題材になりました。
幕府が倒れ、一八六九年(明治二年)前田慶寧は江戸の「加賀鳶」三十八人を金沢へ召し寄せ、これに金沢の火消し二百人余を加えて結成した消防組織が今日の義勇消防(消防団)へとつながって行きます。
江戸の加賀鳶は二年後帰京しますが、義勇消防は加賀藩の江戸と金沢に分かれた火消しの伝統が溶け合う形で新たに出発します。
今日では金沢市内、四十九の校下ごとに組織された分団(団員千六十四人)にその伝統は受け継がれています。
私達は消防ポンプ自動車づくりは金沢の風土からなる加賀鳶の文化から鑑みても金沢のふるくて新しい伝統産業であると自負いたしております。